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DQ6小説 1-3-5



 静まり返った冬の朝に、突然、凄まじく大きな動物の鳴き声が響いた。
 続いて二度、三度――空気を裂くような嘶きと共に、激しい大地の揺れが、朝霧の中で安らかな眠りについていたレイドック城を襲った。
 大陸随一の堅牢さを誇る城塞から、ぱらぱらと細かい砂礫が剥がれ落ち、外堀の苔色に濁った水に波紋を生じさせる。驚いた水鳥の群れが、ぎゃあぎゃあと世の終わりのような鳴き声をあげながら飛び立っていく。その間にも、異様なほど大きな嘶きは、止むことなく続いている。
 今頃はきっと、眠りを妨げられた城勤めの者達が、慌てふためきながら寝床から飛び出していることだろう。
「――あれが噂の暴れ馬か」
 『眠らずの王』レイドックは、むしろ感心しているかのような、満足げな顔で呟いた。
 玉座の間の一角に設けられた執務室の、テラスへと続く窓辺からは、広い中庭を一望できるようになっている。
 特等席とも言えるその場所に立った王は、淡いラベンダー色に染めた絹のブラウスに、上品だが豪奢ではないシフォンの肩掛けを羽織り、裏打ちした兎革の室内用ブーツに足を包んでいる。一国を担う者の出で立ちとしては質素だが、その気安く屈託のない外見が、若干三十代の王の若々しさと、内面から溢れ出る生気を際立たせていた。
 レイドック王の視線は、中庭のある一点に向けられていた。そこに、今朝の騒動の元凶があるのだ。
「ヒイィィィン! ブヒヒィィィンッ!」
 先程から暴れ回っているのは、魔物と見紛うほどに巨大な、純白の毛と真紅のたてがみを持つ馬だった。
 血走った目は憤怒の一色に染まっている。人の指など軽々と切断しそうな歯は、噛み付く対象を探して、かちかちと打ち鳴らされている。
 鋼のような蹄が地面を踏み荒らすたび、大量の土が舞い、芝生が削られていく。庭師が毎日、精魂込めて手入れをしている薔薇園は、見るも無惨な有り様になり果てていた。
 皮鎧と小手で身を固めた馬丁達が、じわじわと馬を取り囲み、その太い首に縄をかけようと悪戦苦闘しているが、野生馬ならではの予測不能な動きと、近づく者を片っ端から蹴り飛ばさんばかりの迫力に、それ以上手を出すことができないようだ。中には、匙を投げて逃げ出す者の姿もある。
「素晴らしい馬だ」
 王は感嘆の溜息と共に、短い感想を述べた。
 が、その視線は、すでに馬の方に向けられてはいない。どこか遠くを見るような瞳を、今まさに朝日が昇ろうとする東の空へと投げかけている。
「昨夜遅く、新兵が捕らえて参ったそうでございます」
 王の傍らに控えた大臣が、うやうやしい口調で述べた。
「この私めも、今まで生きてきて、あれほどまでに屈強な馬は初めて目にしました――が、いささか騒々しゅうございますな」
 鞠のようにころころと太った大臣は、その体型に似合わない優雅な一礼を披露してから、王の横に進み、テラスの窓を閉めた。すると、ぴたりと騒音は止んだ。
 この玉座の間は、王が執務に集中できるよう、また、間違っても国家機密を外部に漏らさぬよう、徹底的な防音処置が施されている。たとえ外で怪物馬が暴れ狂おうが、別世界のように静穏を保つことができるのだ。
「陛下? いかがなされましたか?」
 大臣は慇懃な笑みを絶やさぬまま、それでも細心の注意をもって、王の表情を伺った。
 『眠らずの王』の異名で知られるこの人物、第113代国王ケレース=ディアマン=レイディリアスは、威厳と慈愛、知性と決断力を併せ持つ、完全無欠の統治者だった。このレイドック国が、魔王ムドーの侵攻に幾度となく晒されながらも、世界一豊かで平和な都市国家であり続けているのは、ひとえに王の手腕の賜である。大臣を始め、この国に暮らす全ての人間は、そう固く信じていた。 
 だが、どうしたわけか、今朝は様子が異なっていた。レイドック王は、今までになく戸惑った表情を浮かべている。ムドー討伐の指揮を執っている最中ですら、このような姿を家臣に見せたことはない。
 らしからぬ目をなさっておられる――。
 大臣は、胸に不安を秘めながらも、王の口から発せられる一言一句を聞き逃すまいと、慎重に耳をそばだてた。
「――その、馬を捕まえてきた新入りの彼……ジョエルといったのだったか、何か、どこかで聞いたことのある名だと思ってな」
「よくある名前ではありませんか!」
 たっぷりとした頬を一気に緩ませ、大臣は微笑んだ。内心、国の存続に関わるような大事を口にされるのではと危惧していたのが、いい意味で予想を裏切られ、ほっとしたのである。
「陛下ほどの尊い立場にある御方が、新参兵のような末端の者に、わざわざお心を煩わせる必要はございませんぞ! なんでも、あの化け物じみた馬を捕らえるため、兵役及び軍事訓練従事者規則第七十九条第二十六項を破ったという話ですが……兵の人事に関しては、ソルディ兵士長に一任しておけばよろしいでしょう」
 だが、レイドック王の表情は変わらないままだった。それどころか、ますます異例の言葉を口にした。
「どうにも気にかかってな。直接、その者に会って、話をしてみたくなった」
「な、なんとっ!」
 大臣は素っ頓狂な声で叫んだ。その勢いで、危うく大理石の床の上に引っくり返りそうになったほど。
「ソルディに、ここに連れてくるよう命じてある。もうじき来るだろう」
「そ……そのような、些末な者をでございますか!? この由緒あるレイドック城の、最も神聖なる玉座の間に……!? 陛下! 一体どういうわけで……陛下!」
 顔を真っ赤にしながら叫ぶ家臣の目の前を、王はすたすたと横切っていき、何食わぬ顔で玉座に腰を下ろした。
「参りました、陛下」
 改まった声が聞こえた。ソルディ兵士長だ。
「うむ。入れ」
 レイドック王は、広間中によく通る声で命じた。
 取り残された大臣は、慌てて王に追いすがりながら、必死に口をぱくぱくさせた――が、王の決定に異を唱える勇気は、ついに出てこなかった。結局は、玉座の左斜め前の定位置に立ち、苦虫を噛み潰したような顔で、相手を迎え入れるしかなかったのである。
「失礼致します」
 重い帳の奥から、ソルディ兵士長が入室してくる。その後ろを、問題の新兵が、ぎくしゃくした足取りで着いてきた。
 ひどく小さな少年――というのが、真っ先に受けた印象だった。
 試練の塔での採用試験を通ってきているのだから、成年には達しているはずだが、その小柄で頼りなげな外見から、彼が兵役に就いている姿を想像するのは難しい。初めて訪れる玉座の間の雰囲気に圧倒され、きょろきょろと周囲を見回す黒い瞳は、顔に対して不釣り合いなほど大きく、子供っぽい印象をますます強めている。
 だが、容貌そのものは、不思議と整っているのだった。未熟な時代の名残が見られるのは今だけで、二、三年も経てば、さぞ凛々しい青年になるだろうと思わせる顔立ちでもあった。
 紺碧と呼ぶにはやや明るい、爽やかな夏空のような髪の色が、重厚な調度品で統一された広間の中で、ひときわ華やかに目立つ。身嗜みに無頓着なのか、起き抜けのように乱れた髪型は、鳥の巣という表現がぴったりだ。
「陛下。ご命令の通り、今年度の試験で採用された新兵を連れて参りました――さあ、ジョエル、挨拶しろ」
 ソルディ兵士長に促され、少年はおずおずとレイドック王を見た。そして、小さな体をさらに縮ませながら、蚊の鳴くような声で呟いた。
「……は、はじめまして……ジョエル……です……」
「む……むむぅ~……」
 唸り声を漏らしたのは大臣である。丸い顔を真っ赤に茹で上がらせ、怒りの形相で少年を睨みつける。というのも、彼が、よりにもよって、私服のまま王の前に現れたからだ。
 なんたる無礼、王に対する冒涜――不心得者を怒鳴りつけようとした大臣を制したのは、王その人だった。
「私が、そのままで来るようにと言ったのだ」
「へ、陛下……!」
 家臣を一言で黙らせたレイドック王は、落ち着いた眼差しで少年を見つめた。
 このジョエルという新米兵士のどこに、己の心を突く核心があるのか、王は未だ分からずにいた。
 こうして本人と顔を会わせてみると、やはり、どこかで会ったことがあるような気がする――それも“いつか”“どこかで”といった曖昧な記憶ではなく、彼は自分に“近しい者”であると言い切れるほどの、胸を焦がすような懐かしさすら伴う既視感なのだ――けれども、一体なぜ、そんな風に感じるのかと考えてみても、理由は判然としないのだった。
 知りたい――と、王は切実に願った。果たして、この少年は何者なのか。自分にとって、どんな存在なのか。
「そんなに緊張しなくてもいい。楽にしていなさい」
 優しく声をかけると、少年はますます困った顔になり、床に視線を落としてしまった。その余所余所しい態度からして、相手の方は、こちらに心当たりがあるわけではないようだ。
 少年の服装は、この界隈では見られない、実に風変わりなものだった。
 裾を金糸で刺繍した若草色のベストの下、左肩から斜めに引っかけた明るい山吹色の布が、膝丈のキュロットの右半分を覆い隠している。布の下には何も着ていないため、胸が半分はだけかけた格好だが、全く下品には見えず、むしろ健康的で生き生きとした印象を醸し出している。
 服の生地はどれも、草木染めの過程で蜜蝋を用いて、独特の風合いを出したものだ。この西グレイル地方にはない、素朴で古風な色味である。
 レイドック王が、少年の出自を確信したのは、その首元で鈍い輝きを放つ、古ぼけてはいるが価値のありそうな金のチョーカーに目を留めた時だった。
 これより遙か北方、雄大なるバスカラ山脈に住まう人々の間には、古来より根付いた独特の精霊信仰がある。彼らが身に付ける金の装飾品や山吹色の布は、精霊の御使いとして働く、黄金の鱗を持つ竜を表すといわれる。
 あのような辺境の地から、この少年は、いかなる理由でレイドックを訪れたのだろう――。王の中に、新たな疑問が芽吹いた。



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DQ6小説 1-3-4



「ヒヒーーーンッ!!!」
 鋭い嘶きが、夜半の空気を切り裂いた。と同時に、恐ろしく巨大な生き物の影が、荒々しい蹄の音を上げながら、レイドック城の開け放しの裏門に飛び込んだ。
 中庭に集まっていた兵士達は、一様に慌てふためき、引き波のように場を譲る。踏み止まった幾人かは、すわ魔物の奇襲かと、武器を構える。
 泡を食って倒れそうになり、ソルディ兵士長に支えられた馬屋番の老人は、次の瞬間、かっと見開いた。
「……おお……!」
 まじまじと陳入者の姿を見つめながら、顔全体に喜色を広げていく。
 何故なら、彼がこの中庭で“バシャバシャ爺さん”などと揶揄されながらも、頑固一徹、ひたすら待ち続けていたもの――残りの人生を賭けて思い描いていた夢の結晶が、悠然と目の前に立っていたからである。
「なんと……こいつは……!」
 老人は感激の涙を滲ませながら、よろよろと膝を突き、拝むように両手を合わせた。
 鼻息荒く盛んに頭を振り、鋭い眼差しで周囲の人間達を睨みつけているのは、一頭の見事な牡馬だった。
 新雪を思わせる、艶やかな純白の毛並み。逞しく均整の取れた筋肉。大地を踏み締める鋼のような蹄――どこを眺めても完璧な造形美である。溢れんばかりの風格と気品に満ちたその姿は、ただの馬とは思えない。どこぞの聖なる神殿か礼拝堂に飾ってあった大理石の像が、魂を得て動き出したのだと言われても信じられそうだ。
 しかし、一方で、ぎらぎらと強い意志を宿したその瞳は、人間に対する激しい敵意に満ちていた。地獄に降り注ぐ業火のように逆立った真っ赤な鬣は、この世にも美しい生き物の中に本能として刻み込まれた、厄介な凶暴性を表していた。
 城下町で噂されていた“暴れ馬”――それこそが、この白馬の正体である。
 王都から程近い西の森を占拠し、見境なく人間に襲いかかる危険な野生馬がいるという話は、町の誰もが知っていた。事実、一ヶ月ほど前には、通りすがりの旅商人が「見たこともないほどでっかい、バケモンみたいな馬」に追いかけられた挙句、転倒し足を折るという事件が起きており、レイドック城の議会でも、駆除に向けて話し合いが進んでいる最中だったのである。
「ブルルルッ……! フーッ!」
 馬は激しく興奮し、歯を剥き出している。唐突に、住み慣れた森を離れ、人間の世界へ連れて来られたのだから無理もないだろう。場の緊張に耐え切れず、後ろ脚で勢いよく立ち上がり、威嚇から実力行使へ移ろうとした。
「あっ! ファルシオン! 駄目だよ!」
 馬の背に跨っていたジョエルは、慌てて声を張り上げた。
 鐙も手綱も装着していないため、馬を制御する手段がない。必死で鬣を掴み、振り落とされまいと抱き付く。
「怖がらなくても大丈夫。ここの人達は、お前を脅かしたりしないから。何も心配いらないよ――さあ、俺を降ろしてくれる?」
 首筋をぽんぽん叩きながら話しかけると、馬は低く唸り、せわしなく両耳を動かした。
 戸惑うその姿からは、心中の葛藤が伺える。ちっぽけな人間ごときに乗られ、主導権を握られている悔しさ。だが、それは、仲間もおらず森の中で孤独な暮らしを送っていた彼が、これまで一度も経験したことのない、他者との温かな交流でもあった。
 やがて、馬は怒りを収め、大人しくなった。ゆっくりと前脚を下げ、地に腹を着ける。まるで、よく調教された馬が、主人を安全に降ろす時のように。
「よーし! 偉いぞ!」
 わしゃわしゃと鬣を掻き回してやってから、ジョエルは馬の背を飛び降りた。
「こ、こりゃあ一体……?」
 気勢を削がれ、武器を下ろす兵士達。
「あ! みんな、ただいま!」
 ジョエルは明るい声で言い、己を取り巻く面々に片手を挙げた。しかし、その場に漂っている穏やかでない雰囲気に気付き、首を傾げた。
「みんな……どうして、こんなところに集まってるの? ソルディ兵士長さんまで。何かあったの?」
「ば、馬鹿野郎! お前を探してたんじゃないか!」
 先輩達は我に返ると、口々に文句を飛ばし始めた。
「こっちは大変な騒ぎだったんだ! ひょっとしたら魔物に襲われたんじゃないかって、今から探しに行こうとしてたんだぞ!」
「それを、しれっとした顔で戻って来やがって! 全く人騒がせな奴だな!」
「あ……そうだったんだ」
 さすがに恐縮し、ジョエルは「ごめんなさい」と頭を下げた。
「って、ジョエル、こいつは例の暴れ馬だろう? 平気なのか? 蹴っ飛ばされたり、噛みつかれたりしてないか?」
「大丈夫。ファルシオンは、わけもなく人を傷付ける馬じゃないよ。町の噂は、話がどんどん大きくなっちゃっただけで、お前はただ、自分の縄張りを守りたかっただけなんだよね?」
 すると、“元”暴れ馬――ファルシオンは、今やすっかり落ち着いた眼差しをジョエルに向け、小さく鼻を鳴らして応えた。ジョエルがその鼻面を優しく掻いてやると、満足そうに目を細め、尻尾を振る。
 馬と人間の垣根を越え、まるで長い時を共に過ごしてきた盟友同士を思わせるその振る舞いに、兵士達は、感心したような、呆れたような視線を交わし合った。
「多分、ちゃんと教えてあげれば、馬車だって曳けるようになるよ。時間はかかると思うけど……お爺さん、いいかな? 頼みごとはこれで解決ってことで」
「……お、おお! もちろんじゃとも!」
 ファルシオンの雄々しい姿に見惚れていた老人は、ジョエルの方に向き直ると、皺だらけの顔に満面の笑みを広げた。
「ありがとう、ありがとう! 出会ったばかりの儂の頼みを聞き、これほど肉付きが良く健康そうな馬を連れ帰ってくれるとは!」
 老人は、持っていた樫の杖を投げ捨てると、両手で固くジョエルの手を握り締めた。
 しゃんと伸びた背筋といい、生き生きと輝く瞳といい、昼間に出会った時とは別人である。たった半日の間に、十歳も二十歳も若返ったかのようだ。
「お前さんこそ、強さと優しさを兼ね備えた真のレイドック兵士じゃ! これからの活躍も楽しみにしておるぞ」
「うん! 俺、明日からも頑張って働くよ!」
 ジョエルは素直に嬉しくなり、頬を赤らめながら頷いた。
 考えてみれば、このレイドック城で暮らし始めてから、仕事らしい仕事をすることができたのは、今日が初めてではないか。
 実のところ、兵士として働くために、ライフコッドを出てきたわけではない。“眠らずの王”と面会し、“幻の大地”の謎を解き明かすことが、この国に来た本来の目的である。
 けれど、困っている人の頼みを聞いて、自分もこんなに幸せな気持ちになれるのなら、もう少し今の生活を続けるのも悪くないかな――つい、そんな風に思ってしまうジョエルであった。
「儂も明日からは忙しくなるぞい! こいつの世話をしてやらんと……えー、名前は何と言ったかな」
「ファルシオンだよ」
「お前さんが名付けたのかね? 見かけによらず、イカしたセンスをしとるじゃないか。ファルシオンか。うむ、素晴らしい名前じゃ!」
「そ、そう? ありがとう」
 正直に言うと、馬の名付け親はジョエルではなく、ハッサンだったりする。老人の頼み事を引き受けたはいいものの、当てもなく迷っていたジョエルに暴れ馬の噂を教えてくれた、あの大男だ。
 しかし、今、彼はここにはいない。ソルディ兵士長に今回の顛末を報告した後、大々的に登場してもらう予定なのである。彼にもファルシオンの捕獲を手伝ってもらったと言い、レイドック兵士として雇ってくれるよう頼む――我ながら、なんと素晴らしい作戦だろうか。
 ハッサンは一度、試練の塔での採用試験に落ちてしまっている。しかし、あの屈強な外見を目の当たりにすれば、ソルディ兵士長も考え直してくれるはずだ。ジョエルは、もうすっかり、ハッサンを兵士仲間に引き入れた気になっていた。
「ジョエル」
 そこにタイミング良く、ソルディ兵士長がやって来た。
「あ、兵士長さん!」
 ジョエルはぱっと目を輝かせ、直属の上司に向き直った。
「見てよ! すごいでしょ!? ファルシオンみたいに大きくて強い馬、なかなかいないよ! 兵士長さんも見たことないよね!?」
 相手の表情が固いことにも気付かず、ジョエルは夢中で喋り続ける。頭の中は、己の言いたいことで一杯だ。
「捕まえるのは大変だったよ。木を全部倒しそうな勢いで、森の中をぐるぐる逃げ回るもんだから、多分、俺一人じゃ、どうにもならなかったと思う。でも助けてくれた人がいてさ。その人と手分けして挟み撃ちしたんだ。それで、実は、兵士長さんにお願いが……」
 ぱん! 突如、頬が派手な音を立てた。
 全く予想外の出来事だった。それでも、ジョエルは反射的に目を閉じ、歯を食いしばっていた。
(――あれ? あれ?)
 激しい混乱と動揺。少し遅れて、じんじんと頬が痛み出す。
 叩かれたのだということは理解できた。が、何故? 全くわけが分からない。
 渦巻く疑問を抱えたまま、おっかなびっくり瞼を持ち上げる。途端に、己を見下ろす上司の鬼のごとき形相と目が合い、ジョエルは慌てて肩を竦めた。
「お前という奴は……一体、何を考えている。言いたいことはそれだけか?」
 ソルディ兵士長は、振り絞るような声を出した。音量は決して大きくないが、聞く者を震え上がらせる迫力がある。
 ジョエルはますます恐慌にかられた。相変わらず、なぜ兵士長がこんなに怒っているのかは、全く理解できない。しかし、とんでもない事態を自らが招いてしまったのだということには、薄々気付き始めていた。
「え……あ、あの……」
「私は常に言っていたはずだ。規則を破ってはならんと。にも関わらず、勝手に城を抜け出して、なおかつ、それを全く悪いと思っていないとは……。お前には、レイドック兵士としての自覚があるのか?」
「へ、兵士長殿!」
 老人が悲痛な声をあげる。先輩の兵士達も、ざわざわと騒ぎ始めた。しかし、ソルディ兵士長は意に介さず、厳しい顔でジョエルを睨んでいる。
「――ご、ごめんなさい」
 ジョエルは唖然としながらも、やっとのことで、それだけ呟いた。あまりにも驚いてしまったため、他に言葉が見つからない。
「兵士長、そんなに怒らなくても……」
「ジョエルは新人ですし、山奥から出てきたばかりです。分からないことも多いでしょう」
 見かねた先輩達が、口々に助け船を出してくれる。
「それに、暴れ馬を捕まえてきたんですよ? すごい手柄じゃないですか。旅商人も、これからは安心して森を通れるようになります。爺さんの夢も叶いますし」
「そうですじゃ! 兵士長殿! 先程も申しました通り、罰を与えるのなら、この儂にお願い致しますじゃ!」
 周囲から次々と飛んでくる擁護の声に、ソルディ兵士長は、少し心を動かされたようだ。怒りの表情を収めると、不思議なものを見るような目で、まじまじとジョエルを見下ろす。
「……全く、おかしな奴だ。何の変哲もない田舎者のくせに、他者を惹き付ける力はある。口に出すのも畏れ多いことだが、お前のそういうところは、陛下に少し似ているかもしれん」
「お、俺が!? 王様に似てる!?」
 ジョエルはまたしても仰天し、自分の顔を指さした。
「勘違いするな。陛下は民に深い愛情を注がれ、たゆまぬ努力によって人望を集めておられる。お前は単に、どうしようもなく愚かで、何をしでかすか分からないから、周りが放っておけないだけだ」
 何だ、全然違うではないか。ジョエルはいじけて唇を尖らせた。
 老人や先輩達が庇ってくれたのは、とても嬉しい。けれど、ソルディ兵士長に言わせれば、それは自分が、まだ半人前にしか扱われていないということ。新入りだから。田舎者だから。物知らずだから――
 そのことに気付かされてしまうと、先程までの自分が、たまらなく恥ずかしくなってきた。これだけ大勢の人に迷惑をかけておきながら、ファルシオンを捕まえることしか頭になく、しかも、一人前に仕事をやり遂げた気分になっていたとは……。もし、時間を逆戻りさせられるなら、全力で戻したい気分だった。
「お前が、この馬を捕らえて戻ってこられたのは、結果的にそうなっただけのこと。規則を破ったのとは、また別の話だ。分かるな?」
「う、うん……」
「兵士としての責任を軽んじたお前の罪は重い。しかし、今回の騒動の責任は、お前をきちんと指導してこられなかった私にもある。それを含め、陛下のご判断を仰ぐしかあるまい」
「え……?」
 どきりと心臓が跳ね上がる。
「ま、まさか……今日、俺が失敗したこと、王様に言うの?」
「当たり前だ。このレイドック城における全ての決定権は陛下にあるのだからな。お前の規則違反も報告し、今後の処遇を決めて頂くのだ」
 ソルディ兵士長は、再び厳しい表情になっていた。絶望に打ちひしがれているジョエルを、鋭い目で見下ろす。
「だが……もし仮に、私が陛下の立場だったなら、お前のような役立たずの身の程知らずには、即刻、兵士を辞めてもらうがな」



 その夜、先輩達が寝静まるのを見計らい、ジョエルはこっそりと起き上がった。
 扉の前でしばらく息を潜め、巡回の靴音が聞こえてこないのを確かめてから、寄宿舎を抜け出す。
 暗く静まり返った廊下を裸足のまま駆け抜け、中庭に面した回廊まで来ると、再び耳を澄まし、周囲に人の気配がないのを念入りに確かめた。
 大丈夫。誰も来ない。ジョエルは息を吸い込んでから、そっと跳ね上げ窓を開いた。
「ハッサン。俺だよ」
 吹き付ける真夜中の冷気を頬に感じながら、小声で呼びかける。
「おっ、ジョエル」
 すぐに返事があり、暗闇の中で、ごそごそと立ち上がる気配がした。
「どうだった? 上手くいったか?」
 ハッサンだ。あらかじめ示し合わせておいた場所で、ずっと待っていたらしい。その脳天気な顔からして、何も知らないのは明らかだった。ジョエルは申しわけなさに胸が痛んだ。
「そ、それが……馬車のお爺さんは、ファルシオンを喜んでくれたんだけど……」
 己の失態を人に話すのは、恥ずかしくてたまらなかった。が、言わないわけにいかない。
「……だから、ハッサンを兵士にって話、できそうになかったんだ。ごめん……」
「そうだったのか……」
 ハッサンは神妙な顔になり、ぼそりと呟いた。「大変だったなぁ」と。
「え? 怒らないの? 約束を守れなかったのに」
「そこまで器の小さい男じゃないぜ。俺の方こそ悪かったな、暴れ馬の話なんか持ちかけたりして。まさか、お前の立場まで危なくなるとは思わなかった」
「それはまだ分からないんだ。明日……ううん、もう今日か……王様が決めるんだって」
「王様ぁ? マジか? 兵士ってのも楽じゃないんだな。その規則とやらも、色々縛られて面倒そうだし。ならなくて正解だったかもな、俺は」
「ハッサン……」
 自分に気を遣わせまいとする、その言い方が、ジョエルには何よりも有り難かった。だからこそ、国を守る兵士として、世のため人のために働くことができるのは、本当は彼のような人間であるはずだと思った。
「あのさ……こんなこと言ったら、きっと、ハッサンは本当に怒ると思うけど……」
「ん? 何がだ?」
 ジョエルはハッサンに、この国に来た真の目的を語った。どうしても、明かしておかねばならない。
「王様に会いたいから、試験を受けたぁ?」
「うん。ハッサンや、あの時一緒に塔に上った人達は、心からこのお城で働きたいと思ってたのに……。本当にごめん……。俺が馬鹿なことをしなきゃ、きっと、ハッサンが兵士になってたよ」
「それが悪いことだったって?」
「うん……」
「あのなぁ。一般公募であちこちから集まってくる連中なんざ、はなから誉められるような大層な動機なんか持ってねえよ。この俺だって、魔物を倒してカネもらって、ついでにタダ飯とタダ宿にありつけるなんて天国だなって思っただけだし――それに、試験に落ちたのは俺の力不足のせいであって、お前のせいじゃねえ」
 ハッサンはにんまり笑い、ぐっと親指を立ててみせた。
「俺は、お前みたいな兵士がいてもいいと思うぜ。お前、いい奴だしな」
「……ありがとう」
 その時、廊下の曲がり角から、ゆらゆらと淡い光が近づいてきた。ジョエルは飛び上がらんばかりに驚く。
「ハッサン! 見回りの人が来る!」
「じゃあ、俺はもう、行った方がいいな」
「これからどうするの?」
「旅の武道家に目的地はねえよ。この際、別の大陸に行ってみるのも面白そうだ。ひょっとしたら、こっちの方には帰ってこないかも」
「そっか……」
「短い付き合いだったが、また会えたらどこかで会おうな、ジョエル」
「うん。色々ありがとう。さよなら」
 ジョエルは片手を振って、気のいい大男の去っていく姿を見送った。
 それから大急ぎで寄宿舎に引き返すと、熟睡している先輩達を起こさないようにしながら、二段ベッドの下の段に潜り込んだ。
 またいつか、ハッサンに会えるといいな。そう思いながら。



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DQ6小説 1-3-3



 ソルディは、腕組みのポーズを崩さないまま、真一文字に唇を引き、むっつりと瞑目していた。
 彼の心の中には、新入りの少年に対する腹立たしさと、見通しの甘かった自分への情けなさが、ごた混ぜになって渦巻いていた。同時に、わけの分からない、胸が締め付けられるような不安感も。
 思い返せば、自分がジョエルと同じ、レイドック正規軍に入隊したばかりの青二才だった頃も、完璧な人間とは言い難かった。今思うと恥ずかしくなるような失態をやらかしたり、若者特有の自己万能感に踊らされ、とんでもない無茶に走ったりもした。それでも、上司の口から出る言葉は一言一句聞き漏らさないようにしていたし、規則集だって何百編も読み返したものである。
 ルールから逸脱した行為は、全体の足並みを乱し、不審と軋轢を生む。兵士が城から勝手に姿を消すのは、通常、脱走と解釈され、時には国家反逆の容疑をかけられることもある。
 果たして、ジョエルの脳天気な頭が、そういうことを理解できていたのか、ソルディには全く自信が無かった。ただ彼は、困っている老人からの頼み事を聞いてやろうと、後先考えずに飛び出していった。それ以上でも、それ以下でもない。馬鹿だ。
 ソルディは、もう何度目になるか分からない溜息を漏らすと、薄目を開け、ちらりと横を見下ろした。
 ソルディの隣に控えているのは、馬屋番の老人だ。意気消沈した顔で背中を丸め、縮こまっている。
 この老人を責めるつもりはない。が、きっと今は、処刑台へと続く階段を、一歩一歩上らされているような気分でいるのだろう。意気消沈した皺だらけの顔は、急に何年も老け込んでしまったように見えた。
 夜の帳が降りた中庭には、美しい虫の声以外、何の物音もしない。木立の向こう側に、炊事場のオレンジ色の明かりが揺れている。ふと、ジョエルは腹を減らしていないだろうかと、全く見当違いの心配が湧き上がった。
「ソルディ兵士長……」
 部下達が、ブーツで下草を踏み鳴らしながら、せかせかとした足取りで戻ってきた。皆、浮かない顔をしている。
「どこにもいませんでしたね。町の人間も、誰も見かけてないようですし。これはやはり、外に出て行ってしまったんだと思います」
「そうか……」
「兵士長殿! 儂のせいですじゃ!」
 馬屋番の老人が、ふいに、悲痛な声をあげた。
「あの少年が、まさか兵士だとは思わず、あんな頼み事をしてしまった儂の責任です。兵士長殿、彼は罰を受けるでしょうか? でしたら、代わりに儂を罰して下され! なにとぞ……!」
 今にも土下座しそうな勢いで縋り着いてくる老人を、ソルディは「まあまあ」と宥めた。
 この老人は、あまりにも馬や馬車に固執しているせいで“中庭のバシャバシャ爺さん”なる愛称で呼ばれるほど凝り固まった性格の持ち主だが、先々代王の時代からレイドック王家に仕えている大御所である。無碍に扱うことはできない。
「でもさあ、あいつ、ちょっと頭悪すぎじゃないか? 多分、俺達の教えたことも、絶対分かってないと思うぞ」
「だよなぁ。もし分かってたら、こんな騒動は起こさないはずだし」
「山奥から来た田舎者なんて、みんなあんなもんさ。多くを求めすぎちゃ可哀想だよ、ははは」
 新入りの捜索に駆り出された兵士達は、腹を立てるどころか、むしろ愉快そうに笑っている。彼らにとって、ジョエルは怒る対象ですらないのだ。無理もないなとソルディは思った。
 ジョエルが城で働き始めた二週間前には、今ここにいる兵士達も、真面目に彼を指導し、仲間として迎え入れようとしていた。が、いくらも経たないうちに、皆が思い知らされたのである。この新入りの少年は、全くもって、兵役に就けるような資質の持ち主ではなかったことを。
 そもそも、レイドックの兵士採用試験に合格し、国のために戦うことを許される人間は、腕に覚えがある者と決まっている。そのような人材を集めるために、厳しい試練をわざわざ用意しているのだから、当然である。
 なのに、今年の合格者が、これまでに皆に披露してくれたのは、目を覆いたくなるような惨状ばかりだったのだ。
 一応、剣を背負ってはいるのだが、誰かから正式に指導を受けたわけではないため、ソルディの目には、ただ滅茶苦茶に振り回しているだけにしか見えない。誰かが一緒に稽古してやろうとしても、危なっかしくて近寄れないのである。さらに、もう十七歳なのに、初等学校すら出ておらず、読み書き計算もおぼつかないときては、何の役に立つのかさっぱり分からない。
「俺、思うんだ……あんなんで、よく試練の塔を突破できたなって。ジョエルは、どうやってネルソン試験官を倒したんだろう?」
「あ、確かに! 気になる!」
 そう。最終試験の試験官を務めたネルソンは、どういうわけか、ジョエルを推しているらしいのだ。
 ソルディの部下の中で、ネルソンは最も信頼に足る男だ。人を見る目は確かだし、いい加減なことを言う性格でもない。その彼が、試験が終わった後、こう漏らした。「あの少年は、大化けしますよ」――
 信じ難い話ではあるが、ネルソンの見立てが正しいとするなら、ジョエルは戦に関する天賦の才を、あの間抜け面の下に隠し持っているのかもしれない。だとすれば、自分の役目は、彼を一人前の戦士に育て上げることだ。王の手足として働き、国家のために進んで命を捧げる兵士に。
 だが、何故だろう。
 あの少年には、どうも、そんなことをしてはいけないような気がするのだ。あの一点の曇りもない瞳と向かい合うと、数々の戦で鍛えたはずの強固な意志が、たちまち粉々に砕かれてしまうのを感じる。
 唐突に、ソルディは気付いた。己を戸惑わせていた気持ちの正体。この二週間、自分がジョエルに対して感じていたのは、憂慮でも、焦燥でも、嫌悪でもない。もちろん親心でもない。
 畏れに近い感情だった。
(――馬鹿馬鹿しい)
 ソルディは、己の愚かさに苦笑いした。そんなことがあってたまるか。自分が絶対の忠誠と共に頭を垂れ、全てを捧げることができるのは、この世でただ一人、レイドック王だけのはず――
「ん?」
 その場にいた全員が、ふと、一斉に足元を見た。
 地面が細かく振動している。次第に大きくなってくるようだ。地震だろうか? いや、違う。
「何だ……あれは?」
 ドドドドド……。凄まじい音と共に、地面が抉られ、草が舞い、土煙がもうもうと巻き上がる。その真っ只中には、化け物じみた影が、太い首らしきものを盛んに振り乱しながら躍動している。
 魔物が攻めてきたのか。まさか。国境を警備する駐留兵からは、ここまで巨大な敵が現れたという報告は受けていないが……。
「ひえーっ! お、お助けーっ!」
 老人が悲鳴をあげ、ソルディに抱き付いてきた。



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DQ6小説 1-3-2



 レイドック城は、一日で全容を掴むのが難しいほど、複雑に入り組んだ造りをしていた。
 この城を訪れる者が、まず始めに度肝を抜かれるのは、正面玄関を入ってすぐのところにある、三層の吹き抜け構造をした大ホールであろう。
 ちょっとした町の広場ほどの面積を占める、磨き抜かれた貴楼石の一枚岩の床。真っ直ぐに伸びる深紅の絨毯が導く先には、黒御影の蹴込みと象牙貼りの手摺も見事な半螺旋階段が二対、美しいカーブを左右対称に描いている。
 頭上を仰げば、天井一杯に広がるのは、四季の星座神話をモチーフにした壮大なフレスコ画だ。物語の佳境を表す場面には、人が何人も乗れそうなほど巨大なシャンデリアが吊り下がり、金銀宝石の輝きを燦然と放っている。
 ありったけの贅を尽くし、訪れる者を非日常に誘うこの空間は、祝賀行事の際には一般人にも開放され、舞踏会の会場として使われるのだ。
 その大ホールと中庭を挟み、建物は左右の棟に分かれる。
 西翼の下層は、使用人の生活圏。炊事場、食堂、浴場、備品倉庫、出入りの商人と応対するためのサロンなどがある。上層階は、がらりと雰囲気が一変し、正餐室や、貴族の社交場である音楽室や喫煙室、横長の窓から領内の景色を一望できるラウンジが設けられ、他国から訪れた客人にも好評だという。
 中庭を挟んで向かいの東翼は、城内の秩序を司る棟だ。統監督室、会議室、図書室、医務室、兵士の寄宿舎と訓練場、武具保管庫など、地味ではあるが重要な施設ばかりが揃う。この辺りまで来ると、さすがに大ホールのような華やかさは影を潜め、無骨で厳めしい雰囲気が漂っている。
 そして、翼を広げた緋頭鷲を図案化した国章を掲げる、二本の尖塔を備えた最も北側の棟が、レイドック城の頭脳ともいうべき王室である。
 “眠らずの王”が執政を行う玉座の間では、部下に重要な指令が下されたり、同盟国から派遣された使者との会談が行われたりと、国の将来を左右する出来事が、連日起こっているという。
 ただし、ここに足を踏み入れるのを許されるのは、王から直接指名された、ほんの僅かな人間だけ。安全保障上の理由から、王室の内部構造は最重要の機密であり、その奥がどうなっているかを実際に知る者は、ほとんどいない。そのため、城で暮らす人間の大部分は、王がおわす場所という認識しか持っていなかった。
 さて、ソルディ兵士長はジョエルに、こう言ってくれた。「陛下のいらっしゃる王室以外なら、どこに行っても構わん」と。
 その言葉に従い、ジョエルはレイドック城の探検を始めた。
 田舎の村から出てきたばかりの少年にとって、広く複雑な城内は、ややこしいの一言だった。ほんの少し進んだだけで、自分がどこから来たのかさえ分からなくなってしまう。ものの五分も経たないうちに、道順を覚えるのを諦め、気の向くままに歩き始めた。
 道中、多くの城勤めの人々に出会った。皆、ジョエルを小姓か何かと勘違いしているらしく、請えばいくらでも仕事を与えてくれた。ジョエルは行く先々で、床に雑巾がけをしたり、机や椅子を運んだり、古くなった燭台の台座を取り替えたり、スープの鍋を掻き混ぜたり、ご婦人方の飼い猫に餌をやったり、通いの針子が持ち込んだ新作衣装のモデルになったりした。
 どれもこれも、兵士のする仕事とは思えなかったが、久しぶりに体を動かすことができるのは有り難かった。
 それに、思わぬ収穫もあった。“眠らずの王”に関して、かなり詳しい話を聞き出すことができたのだ。
 なんでも、レイドック王の年齢は、まだ三十代なのだという。歴代国王の中で最も早く即位したのだが、その若さに似合わず、完全無欠な人物で知られているらしい。
 統治者としての力強い覇気と、女性のように細やかな心配りを併せ持ち、頭脳明晰で、働き者で、慈悲深く、常に人民のことを第一に考える――正に、王になるべくして生まれてきたような人物だというのだ。
「王様って、毎日どんな仕事をしてるの?」
 図書室で頼まれたのは、本の整理だった。机の上に散らかっている大量の本を、苦労して一箇所に積み上げながら、丸い銀縁眼鏡をかけた学者に訪ねてみる。
「陛下は今、魔王ムドーについての研究をなさっているのだ」
 何かを執筆中だったのだろうが、学者は羽根ペンを動かす手を止め、快く教えてくれた。
「ムドーかぁ……。うちの村の村長さん達も、よく話してたよ。すごく恐ろしい力を持ってる、魔物達の親玉なんだ」
 ここに来る前に立ち寄ったシエーナの町でも、ムドーの噂は耳にした。一年の内で最も規模の大きいバザーは、ジョエルからすれば、ライフコッドの村祭りが一度に何百回も来たかと思われるほどの盛況ぶりだったが、あれでも、ムドーや魔物の影響で、例年に比べると客が少ない方だったのだという。
「うむ。悪しき力で我々人類を支配せんと企むムドーは、この国にもすでに何度か現れている。そのたびに陛下は、選りすぐりの兵を率いて、果敢にムドーに立ち向かわれた。しかし、やっとのことで追い詰めたかと思うと、奴の姿は、煙のように掻き消えてしまう。もう一年も前から、そんな鼬ごっこの繰り返しなのだ」
「そうなんだ……」
 一年前といえば、王が眠らなくなった時期と一致する。
「だが、心配することはないぞ。陛下はすでに、ムドーの正体を暴くためのヒントを掴まれているようなのだ……ところで、君、本を片付けてくれるんじゃなかったのか? さっきから、ちっとも進んでないじゃないか」
「う……う~ん」
 ジョエルは困り果てていた。元々、文字を読むのが苦手な上、ここにあるのは、難解な用語で記された専門書ばかり。題名順に並び変えて棚に入れろと言われても、どうしていいやら分からない。
 戦力外だと判断したのだろう。学者は呆れた顔で、仕方無さそうに羽根ペンを置くと、自ら片付けを始めた。
 ジョエルは天井近くまである黒壇の書架を見上げた。鼻がむずむずしてくるほど大量の蔵書が、隙間無くびっしりと詰め込まれている。勤勉なレイドック王が、世界中から収集させたのに違いない。とすると……
「こ、こらこら! 何やってるんだ!? せっかく元に戻してるのに、また散らかさないでくれ!」
 学者は仰天して叫んだ。ジョエルが近くの棚から適当に本を抜き出しては、ぱらぱらと眺めていたからだ。
「あ、ごめんなさい。ここの本の中に、“幻の大地”のことが書いてある本はないかなって思ったんだ」
「“幻の大地”?」
 眼鏡の奥の瞳をぱちくりさせ、唖然としていた学者は、いきなり大声で笑い出した。
「わっはっは! どこで聞いたか知らないが、あんなものは、ただの迷信だ。真面目に取り上げている本などないよ。夢物語の本だったら、書いてあるかもしれないがね。わっはっは!」
 思いっきり爆笑されてしまい、ジョエルは恥ずかしくなって、その場を退散した。
(やっぱり、普通の人には信じられないんだな。でも、王様だったら、きっと分かってくれる。本当に“幻の大地”はあるんだって――)
 早く“眠らずの王”に会って、自分の体験したことを伝えたい。その真摯な想いは、ジョエルの中でますます高まっていった。
 図書室の裏手にあった親子扉を開けると、いきなり陽射しの下に出た。一瞬、外に出てしまったかと慌てたが、木立の向こうには、西棟の赤煉瓦の壁が見えている。どうやら、中庭のようだ。
 行き届いた管理がされているのか、地面の芝生は綺麗に切り揃えられ、塵一つなく掃き清められている。芝生と石畳との境目には、幾何学模様に刈られた植え込みや、空想上の動物や妖精を象った石膏像が、全く同じ間隔で配置されていた。
 山奥の村で厳しい自然と共に暮らしてきたジョエルにとって、美しいけれど人工的な匂いのするこの庭は、どことなく窮屈に感じられた。
 薔薇の咲き乱れるラティスに囲まれた小高い丘の上には、円形の噴水が、霧のような水を静かに吹き上げている。一体、どんな仕掛けになっているのだろう。物珍しさに身を乗り出し、水飛沫に手を伸ばそうとしていると。
「そこの坊やは、どこの子かの」
 背後から声をかけられた。びっくりして振り向くと、温厚そうな顔をした老人が、木のベンチに腰かけているではないか。
「俺、子供じゃないよ。もう十七だよ」
 ジョエルは真っ赤になりながら、そそくさと噴水から降りた。よくよく考えれば、大人のする行為ではない。
「おお、それはすまん。この歳になると、どうも目が悪くなってのう……見かけん顔じゃが、最近来たのかね?」
「そうだよ。お爺さんは、何か困りごとはある? 今、ここの人達の手伝いをして回ってるんだ」
 ベンチの方に歩み寄りながらそう尋ねると、老人は、急に不機嫌な顔になった。
「困りごと? 大ありじゃわい! かれこれ三十年間、儂の頭がこんなに禿げ上がるまで悩み続けてきた問題がな」
 三十年! これまた年期の入った悩みである。果たして、どんな無理難題を突き付けられるのか。ジョエルは一気に緊張し、老人の話に耳を傾けた。
「儂は、こう見えても、王宮の馬小屋を管理しておる者じゃ。この国には、先代の王が高名な技師に造らせた、それはそれは見事な馬車がある。じゃが、あまりに大きく立派すぎるせいで、その馬車を引ける馬が見つからなくてのう」
 馬が引けない馬車――まるで謎かけのような話だ。
「肝心の馬がおらんせいで、この三十年間、一度も倉庫から出せたことがないんじゃ。馬車の勇姿を誰にも見せることができず、儂はもう、悲しゅうて悲しゅうて……」
 その、馬車を造った高名な技師という人は、馬が引っ張れるかどうかを考えて造らなかったのだろうか……そんな素朴な疑問が浮かんだが、口には出さずにおく。
「何とかして、その馬車を引ける馬を手に入れたいんじゃ。まずは、体が大きいのが絶対条件じゃな。そして力強く、風のように早く走れて、持久力も並の馬より優れていなければならん。ああ、もちろん、人間に懐いているのは当たり前じゃぞ。どんなに優れた名馬でも、言うことを聞かなければ意味が無いからな」
 次から次へと、好き勝手な希望を挙げていく老人。だが、もちろん、そんな都合のいい馬がいるわけがない。呆れ半分で聞いていたジョエルであったが、ふと、ソルディ兵士長に言われたことを思い出した。
(困っている人のことは、助けてあげなきゃ。それが俺の、兵士としての仕事なんだから――)
「……分かった。お爺さん、俺に任せてよ!」
「何!? 引き受けてくれるのか!?」
「うん。何とかそういう馬を探し出して、ここに連れてくるから。楽しみにしててね!」
 そう叫ぶやいなや、ジョエルは大急ぎで駆け出していった。


 炊事場の通用口から、こっそりと城を抜け出したジョエルは、周囲をきょろきょろ見回した。
 レイドック城の近隣は、王都の発展ぶりとは対照的に、手付かずのままの自然が残されていた。晩秋を感じさせる枯葉色の草原が緩やかな起伏を描く中、小高い丘や、鬱蒼とした森、陽の光を浴びてきらきらと輝く湖沼などが、パッチワークのように混じり合っている。
 城の外に出るのは、兵士になって以来、始めてだった。ジョエルは大きく深呼吸し、久しぶりに浴びる野の風を体中に巡らせながら、これからどうしようか考えた。
 これだけ豊かな森林がたくさんあるのだから、野生の馬くらい、簡単に見つけ出せるだろう。問題は、あの老人を納得させるだけの馬を連れて帰れるかどうかだ。
「……考えててもしょうがないな。とりあえず、片っ端から当たってみよう」
 近くの森を目指して歩き出そうとした、その時。
「よお! どこかで見たチビかと思えば、お前かぁ!」
 唐突に、頭の真上から、怪物の声が降ってきた。――これは比喩でも何でもない。ジョエルの耳には、どう聞いても、本物の怪物が吠えている声としか思えなかったのである。
 ジョエルはぎょっと肩をすくめ、片足を踏み出した姿勢のまま、石化したように固まってしまった。
 おっかなびっくり、頭だけを動かして――もちろん、首から下は、いつでも全速力で逃げ出せる体勢を取りつつ――振り向いてみる。
 真昼の太陽をも覆い隠し、どん、と立っていたのは、伝説に語られる巨人を彷彿とさせる、筋骨隆々とした大男だった。縦幅も横幅も、ジョエルの二倍はあるだろうか。逆光に浮かび上がるシルエットは、それだけでも威圧感たっぷりで、大抵の者は震え上がってしまうだろう。
 中でも、最も特徴的なのは、その頭だ。ぱっと見ただけでは坊主頭のようだが、頭のてっぺんにだけ、一房の髪が残してある。何とも珍妙なスタイルである。
「……ハッサン……!」
 ジョエルは大袈裟に息を吐き出した。安堵のあまり、へなへなと体の力が抜けていく。同時に、あれほど驚いてしまった自分が馬鹿みたいに思え、恥ずかしくなった。
 相手の名は、すぐに思い出せた。兵士採用試験の最中に、試練の塔の中で出会った男だ。
「おっ。覚えててくれたか」
 ハッサンは、試験中にも見せた鷹揚な笑みを浮かべ、ぶ厚く大きな手のひらで、ジョエルの頭をバシバシ叩いてきた。本人は、ぽんぽんと軽く手を置いているだけのつもりなのだろうが、やられる方は、かなり痛い。
「覚えてるよ。あの塔の中で、そんな変な格好してたの、ハッサンだけだったもん」
 唇を尖らせて抗議の意を示し、凶器のような手からやんわりと抜け出しながら、ジョエルは相手の顔を見上げた。
 血気盛んな荒くれ男そのものの風貌の中で、小さな鳶色の瞳だけが、夢見がちな少年時代を忘れていないかのように、きらきらと快活に輝いている。人が良さそうで、好感が持てる目だった。なんにせよ、一度見たら忘れられないタイプの人間であることは間違いない。
「あれからどうしてたの? 全然見なかったけど」
 何の気無しに尋ねてから、しまった、とジョエルは慌てた。今年の採用者は自分一人だけ。つまり、ハッサンは……。
「それは聞いてくれるな。お互い様だろう。まあ、落第した後も諦めきれなくて、こうして未練たらしく城の周りをうろついてるわけだが……もう、男ならきっぱり諦めて、武者修行の旅を再会しなきゃな。どうだ? これから一緒に、残念会でもしないか?」
 隠しておいても仕方無い。おずおずと本当のことを告げると、ハッサンは「マジかよっ!?」と吠えた。地平の彼方まで震撼させるようなその声に、ジョエルの小柄な体は、体当たりを受けたようによろめいた。
「――すっげーな! お前、あの塔を攻略できたのか! 見かけによらず強いんだな。いやー、おめでとうよ!」
 幸いにも、ハッサンは全く機嫌を損ねてはいないようだった。それどころか、ごつい顔に満面の喜色を浮かべ、我がことのように祝ってくれている。
 ジョエルは、素直に嬉しさを感じる一方で、少しハッサンに対して気後れもしていた。本当は、彼のように、強さと優しさを兼ね備えた人間こそが、レイドックの兵士に相応しいのかもしれない――そう思ったからだ。
 改めて、相手の威風堂々とした姿を眺める。いっぱしの強さを目指す男ならば、この鋼のように屈強なハッサンの肉体を前に、少しでも羨望の念を抱かない者がいるだろうか?
 ハッサンは、なめした黒水牛の革に、急所の左胸だけを薄い鉄板で補強された、軽くて頑丈そうな胴着を身に着けている。一方、鎖骨や腹筋は剥き出しで、守りの方にはあまり気を配っていないらしい。身も蓋もない言い方をすれば、ほとんど半裸の状態である。
 しかし、その姿は、ハッサンが己の力に多大な自信を持っている証でもあった。彼はきっと、今までたくさんの魔物を倒し、数え切れないほどの修羅場を潜り抜けてきたのだろう。
 羨ましい。ジョエルは心の底から思った。
 すると、自分がライフコッドで過ごしてきた十七年間の日々が、急に悔やまれ出した。妹と共に寝起きし、自分達が食べていける分の畑を耕すだけの、来る日も来る日も変わり映えのない暮らし。無駄な時間だったとまでは思わないが、もう少し、何か努力できていたのではないか――
「それで、お前……ジョエルって言ったっけ、兵士になったのに、なんで城の外にいるんだ?」
「今、仕事中だよ」
 “仕事”を強調することで、相手に対する密かな嫉妬心を晴らそうとしながら、ジョエルは自分の目的を語った。
「これから馬を探しに行くんだ。立派な馬車を引けるくらい、大きくて力持ちの奴をさ」
「馬だって!? そんなことさせられてんのか!?」
 “そんなこと”とは何だ。ジョエルはますます臍を曲げながらも、城の中庭で会った老人のことを、一から説明してやった。
「人助けも兵士の大切な仕事だからね」
 ソルディ兵士長の台詞も、ちゃっかり拝借する。
「ふ~ん。なんつーかお前、面白い奴だな。よし、俺がとっておきの情報をやろう!」
「情報?」
「町にいた旅商人から聞いた噂だがよ、ここからちょっと西に行った森の中に、とんでもなくでっかい暴れ馬が住んでるって話だ。暴れ馬っていうから、凶暴で手を焼くかもしれねえが、もし捕まえることができれば、その重い馬車とやらも引けるに違いないぜ」
「そっか。ありがとう! 西の森を探してみる!」
「あー! 待て待て待て!」
 と、ハッサンは、駆け出しかけたジョエルの青いモジャモジャの髪を、むんずと掴んで引っ張った。
「い、いたたたたっ! 何すんだよっ!」
「ああ、悪い悪い。ちょうど手近な場所にあったから……聞いてくれ。お前はどうやら、いい奴そうだから、それを見込んで相談がある」
「相談?」
 ひりひりする頭を撫でながら聞き返すと、ハッサンは素早く周囲を見回してから、ぐっと声を落として言った。
「俺も、お前と一緒に、その暴れ馬を捕まえるのを手伝ってやる。その代わり……あのな、もし、上手い具合に馬を捕まえられて、その馬車爺さんを喜ばすことができたら、城のお偉いさんに、俺も兵士にしてくれって頼んでほしいんだ。なっ、この通り!」
 背中を丸めて屈み込み、両手を合わせるハッサン。きっぱり諦めると言っていた割には、まだ未練が残っているようだ。
「ハッサンも兵士に? うん、いいよ。ソルディ兵士長さんに頼んであげる」
「本当か!? うおーっ! やったぜ!」
 決して安請け合いをしたつもりはなかった。少なくともこの時は、自分の口添えでハッサンも兵士になれるのなら、こんなに嬉しいことはないと思ったのだ。
 もし、ハッサンと一緒に城勤めをすることになれば、自分は彼の先輩だ。つまり、彼に仕事を教えてやる立場になるのだ。
 先輩! 心踊るほどに魅惑的なその響きに、ジョエルはにんまりと頬が緩みそうになるのを、必死に我慢した。
「ようし、決まった。今日から俺たちは兄弟分だ! よろしく頼むぜ、ジョエル!」
 “兄弟”が心の中で何を考えているかなど全く知らないハッサンは、威勢良く腕を振り上げ「待ってろよー! 暴れ馬!」などと叫びながら、ずんずんと先陣を切って歩き出した。



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DQ6小説 1-3-1



 西グレイル大陸のおよそ四分の三、“富める水脈”の名を冠するエルク・ロス海に面する一帯を統治下に置く、巨大王制国家レイドック。
 その領土の大部分は、海からの季節風がもたらす温暖な気候に恵まれている。また、内陸部は険しい山と谷、豊かな森と湖が点在し、変化に富んだ風光明媚な国としても名高い。
 エルク・ロス海に注ぐ二本の大河に挟まれた肥沃な三角州地帯に、今からおよそ四百年前に開闢し、今や世界一の大都市としてその名を知られる王都レイドックがある。
 確かな伝統に支えられてきた古風な赤煉瓦の家並みは、どのような境遇を経てここを訪れる者にも安らぎと郷愁を与え、町の中心に建つ水堀に囲まれた荘厳華麗な王城は、統治者の権威と頼もしさを民に知らしめる。
 人口が多い割に治安は良く、魔物に対抗できる十分な兵力を擁している国なだけに、他国から移住してくる者が後を絶たない。ムドーが現れる前は二千人足らずだった総人口は、ここ数年で右肩上がりに増え続け、以前の倍近くにまで達していた。
 この、巨大すぎるほどに膨れ上がったレイドックの国を治める現王は、またの名を“眠らずの王”と呼ばれている。民のために寝る間を惜しんで働く王に、人々は深い感謝の意を込め、こんな風変わりな愛称を贈ったのだ。
 ライフコッドを旅立ったジョエルの最初の目的が、この“眠らずの王”と面会し、“幻の大地”について聞くというものだった。
 しかし――



「ふわ~あ……。おふぁよぉ……」
 ある朝。ジョエルは何とも気の抜けた欠伸と共に、寄宿舎の玄関口となっている木の扉を押し開けた。
「おはよう、ジョエル」
 手垢の染み付いたテーブルを囲んでいた兵士達が、気さくに声をかけてくる。何かのカード遊びに興じていたようだが、笑ったり怒鳴ったりと騒々しく、ジョエルは起床時刻より前に目が覚めてしまったのだ。
 二度目の欠伸を噛み殺しながら先輩達の元に歩いていくと、部屋の中はそれだけでぎゅうぎゅう詰めになった。壁に槍や盾などの武具がたくさん立ててあるせいで、余計に狭く感じる。
 ひとたび魔物襲来の報が届けば、兵士達はこの詰め所で装備を整えて出動するのだが、ジョエルがここに来てからは、まだ一度もそのような事態は起こっていない。平和――と言ってしまえば結構だが、ジョエルはいささか暇を持て余していた。
 太陽の下で勤しむ農作業と違い、兵役には昼夜の区別がないため、常に多くの交代人員が用意されている。ここで待機中の兵士は、まだ出番ではないのである。
「どうだ? もう、ここの暮らしには慣れたか? 田舎と違って都会的だから、故郷のみんなにいい土産話ができたろ」
「……まだ村には帰れないよ。王様に会ってないもの」
 ぶすっとした顔でジョエルが返すと、「またそれか!」と、先輩達の間に爆笑が巻き起こった。
「どんだけ王様に会いたいんだ、お前は! まあ、憧れる気持ちは分かるぜ。何しろ“眠らずの王”は、強くて優しくて賢くて、どこにも非の打ち所のないお方だからな」
「新兵には、なかなかいい仕事が回ってこないが、真面目に働き続けていれば、きっとお声をかけてもらえるさ。ま、気長にやることだな」
「気長にねえ……ふぅ」
 ジョエルは朝っぱらから憂鬱な溜め息を付き、寝癖でますますモジャモジャに絡まった頭を掻いた。
 この城で暮らし始めてから、すでに二週間も過ぎてしまっている。いつになったら王に会えるのか、全く目処は立っていない。
 ジョエルは現在、ちゃっかりというか成り行き上というか、このレイドック城の新米兵士に収まっていたりする。
 もちろん、まだ見習いの身なので、先輩達のような重要な任務は任せてもらえないが、食事は腹一杯食べられるし、温かい寝床もある。実に平穏な毎日を送っているのだ。
 危険だらけの旅に出たはずが、なぜか家にいた頃よりも安穏とした暮らしを送ってしまっている現実に、ジョエルは今さらながら疑問を感じた。
(ん~、なんでこんなことになったんだっけ……)
 思い起こせば二週間前。村長から渡された通行証を握り締め、初めてレイドックの都を訪れた時のことだ。王に会おうと足を運んだレイドック城で行われていたのは、魔王ムドーとの戦に備えての、新たな王宮兵士を募る採用試験であった。
 兵士にならなければ、城の中に入れてもらえない。ジョエルは一刻も早く“眠らずの王”に会いたい一心で、後先考えずに試験に飛び付いてしまった。
 その試験というのがひどかった。南の森の中にそびえ建つ試練の塔から“あるもの”を持ち帰ってくる――という、聞くだけなら単純明快な内容だったのだが。
 さすがは天下のレイドックである。塔の中に凶悪な魔物が棲み付いているのはもちろんのこと、挑戦者を振るい落とすために仕掛けられた数々の罠によって、腕に覚えのある戦士達が次々と脱落。ジョエルも恐ろしい棘の生えた床を踏みそうになったり、ずる賢い他の挑戦者に塔から突き落とされそうになったり、おかしな三択問題に悩まされたり……。あげくの果てに、やっと辿り着いた頂上では、実戦さながらの重装備で待ち構えていた試験官のネルソンという武人と戦わされたりして、散々な目に遭ったのである。
 一生懸命に立ち向かった結果、何とかネルソンを退けて“あるもの”を手に入れることができたジョエルは、今年度の採用試験における唯一の合格者となった。
 そして、男なら誰もが憧れる栄光のレイドック兵士として、今日も煉瓦造りの城壁の上に一人ぼっち、だらしなく頬杖を付きながら、足をぶらぶらさせているのであった。
「はぁ~」
 何度目になるか分からない盛大な溜め息を付き、ぽつりと漏らす。
「……暇だなぁ」
 眼下には城下町が広がっている。賑やかな町並みは、魔物の影など微塵もない。西グレイル地方の気候はライフコッドに比べると遙かに穏やかだが、それでも町の人にとっては寒いらしく、毛皮のコートやマントを着ている姿が目立つ。
 王城を中心に扇状に広がるレイドック王都は、大まかに四つの区画に仕切られている。
 入り口に近い南側は、冒険者や旅の商人が多く集う市場や宿場街。東側は学校や養成所などの教育機関。西側には教会と大聖堂、他国からの使者をもてなす迎賓館がある。そして、最も城に近い北側が、レイドック国民の暮らす居住区だ。
 それぞれの区画は、交差する二本の大通りによって分けられており、非常に利便性が高い。この近代的な区画整備は、驚くべきことに、四百年も昔に完成していたのである。
 四百年前といえば、世界は暗黒時代の真っ只中。貧しく無知な人々の間では、紛争や人身売買が公然と行われ、地形の壁を越えた交易もほとんどなかった。その頃からレイドックは秩序立った統治を行い、世界の中心地として栄えてきた。領土の大部分が豊かな土壌だったのと、何人もの賢王に恵まれたのがその理由だ。
 しかしながら、当然ジョエルにそのような知識があるはずもなく、先進的な造りの町を見ても“広くて楽しそうなところ”という感想しか浮かばないのであるが……。
「町に行ってみたいな。でも、ここを動くなって言われてるし……」
 喧騒に混じって流れてくる、擦り減った石畳の路地裏を行く荷車の音や、子供達のはしゃぎ声、犬の騒々しい吠え声を何ともなしに耳に入れながら、ジョエルはぐんにゃりと城壁に凭れかかった。
 兵士になってからは、勝手に城を離れることは禁じられているため、町を見物する機会は無い。その上、城内を自由に歩き回るのも許されていない。じっとしているのが苦手なジョエルにとって、この仕打ちは拷問に近かった。
 城をぐるりと囲んだ城壁の南側部分を、朝から晩まで、ただひたすらに見張り続けるのが、ジョエルに与えられた仕事だった。魔物の襲撃に備えて……というのは表向きの話。ジョエルは気付いていなかったが、要するに、任せられる仕事が何一つないので、その辺に立っていろという意味なのである。
「こんな調子で、いつになったら王様に会えるんだろう。せっかく“幻の大地”のこと聞きに来たのにさ。あーあ、兵士になんかならなきゃよかった。失敗したなぁ……」
 試練の塔での厳しい戦いが蘇る。あの苦労は一体何だったのかと、悶々とするジョエルであったが。
「……あっ!」
 コツコツと近づいてくる靴音に気付くが早いか、慌てて背筋を伸ばし、いかにも真面目に仕事してますという顔を作った。
 現れたのは、かっちり整えた金髪と、くるんと巻いた立派な口髭が目を引く壮年の男性。ソルディ兵士長だ。兵士達を纏める指導役で、ジョエルの直属の上司に当たる人物である。
 特権階級を示す臙脂色の制服の左胸には、これまでの働きぶりを示す勲章の数々が、誇らしげな輝きを放っている。戦の最前線で剣を振るうには、やや厳しい年代に差し掛かっているものの、長年の城勤めによって身に染み着いた立ち振る舞いは、若者以上にきびきびとしていた。
「ジョエル、どうだ? 何か異常はあったか?」
 普通に訪ねたつもりなのだろうが、ソルディ兵士長の張りのある声は、城中に響き渡るかと思えるほど大きく、ジョエルは飛び上がりそうになった。
「ないよ、あ、ないです……」
 内心冷や汗をかきながら、しどろもどろで答える。真面目に見張っていなかったことが、ばれていなければいいのだが。
 幸い、ソルディ兵士長は、新入りの勤務態度を確かめに来たわけではないらしい。
「前から聞きたかったのだが、その背中の剣はどうした? お前がここに来た時から持っていたな」
「ああ、これ?」
 よくぞ聞いてくれた。ジョエルはにんまりと笑い、背中に背負っていた剣を抜いてみせた。慣れないながらも、毎晩一生懸命に手入れをしている刀身は、冬の鈍い陽光を反射して、きらりと輝く。
「村を出る時、ランドっていう友達のお父さんからもらったんだ。かっこいいでしょ!」
 ジョエルが村を出ると知った時、ランドの両親は大いに心配し、考え直すよう説得してきた。それでもジョエルの決意が揺らがないと知ると、旅先で魔物と出会ったとき己の身を守れるようにと、ランドの父親が傭兵時代に愛用していたこの剣を、餞別に贈ってくれたのだ。
「ほう。かなりの年代物だが、まだまだ実用に耐えるようだ。さぞ大事にされていたのだな。その友人の父上に感謝するのだぞ」
 剣ではなく、剣を持った自分がかっこいいかどうかを聞きたかったのだが……。ジョエルは少々落胆しながら剣を鞘に収めると、気を取り直して、いつもの質問をぶつけてみることにした。
「え~と……ところで、兵士長さん。俺、いつになったら王様に会わせてもらえるのかなあ?」
「二言目にはいつもそれだな、お前は」
 ソルディ兵士長は、呆れと好奇の入り交じった微笑を浮かべた。
 日頃から部下達に厳しい目を光らせている兵士長も、こんな茶目っ気のある顔を見せるのだと知り、ジョエルは何となく嬉しくなった。今が不穏な時代でなければ、根底にある優しさを隠そうとしない人なのだろう。
「なぜそんなに陛下に会いたいのだ? あのような辺境の村から、たった一人で山を降りてくるなど、相当の理由があると見たが」
「それは……まだ内緒。王様に会えたら教えてあげるよ」
 精霊のお告げや“幻の大地”のことは、誰にも打ち明けていない。あまりに信じ難い話だからだ。ターニアや村長は信じてくれたが、さすがにレイドックの人々にまで受け入れられるとは思えない。
 けれども、理由は分からないものの、王なら信じてくれるはずだという妙な確信があった。
「陛下の目に留めて頂くには、何か手柄を立てるのが早道だが、陛下は夜も一睡もなさらないほどお忙しい身。そう簡単には会えないと思え」
「王様は、みんなから“眠らずの王”って呼ばれるほど、全然寝てないんだよね。ずっと眠らないまま過ごすなんて、辛くないのかな?」
「とてもお辛いことだろう。ご自分の身を犠牲にしてしまうほどに、民への愛情が強いお方なのだ。だから我々兵士も、最大限の力を尽くして陛下をお助けせねばならん。魔物共の手から民を守ることによってな」
「うんっ!」
 ソルディ兵士長の言葉に、ジョエルは勢いよく頷いた。レイドックに来た目的は王に会うためであって、王の手伝いをするためではない。それは分かっているのだが。
「では、ジョエル。お前に新しい仕事をやるとしよう」
「新しい仕事? 何? 何をするの?」
 たちまち目を輝かせて飛び付く。この退屈な見張り番から抜け出せるのなら、どんな重労働でも引き受けたい気分だった。
「この城の中を、自由に見て回っていい。陛下のいらっしゃる王室以外なら、どこに行っても構わん。そして、困っている者を見付けたら、その者を助けてやるのだ。人助けも兵士の大切な仕事だからな。ただし、くれぐれも規則を破ってはいかんぞ」



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